
貴女の人生に起きた出来事…それはあらゆる可能性を秘めている
一見最悪な出来事が、後年になって実は「必要不可欠な出来事」だったと知るには、やはり人生経験が必要です。私たちはどうしても、自分の視界の範囲内、思考できる範囲内、そして世界観の範囲内だけで物事を判断してしまいます。 経験の範囲内、知識の範囲内、情報の範囲内……これら限られた枠の中で物事を捉え、起きた出来事を「良い・悪い」と評価しているに過ぎません。しかし、人生という名の宇宙の中では、到底人間の計算では及ばない出来事があるのです。その時はいっときの絶望に見えたとしても、実は大きな意味があった。 そんな実際にあった事例を、これから貴女にお伝えします。
【お金・損得】
その「浪費」と「損失」は、未来への定期預金だった
20代の頃、周囲に合わせて、実は無理して購入したブランド物のバッグ。買った直後に「無駄遣いをしてしまった」と激しく後悔し、使わずにクローゼットの奥に封印していました。数年後、急な引越しでまとまったお金が必要になり、買取に出したところ、世界的なヴィンテージブームで当時の購入価格の2倍以上の値段がつきました。あの時の「無駄遣い」は、実は未来の自分への「定期預金」だったのです。


海外旅行に行くために日本円をドルに両替しましたが、直前にインフルエンザにかかり旅行がキャンセルになりました。手元には使えなかったドル紙幣が残り、見るたびに悲しい気持ちになっていました。いつかまた行く機会があると思いそのまましまっていました。数年後、歴史的な円安が到来!家で眠っていたそのドルを円に戻しただけで、旅行代金が返ってきたどころか、プラスのお小遣いまでに増えていました。行けなかった旅行が、資産運用に化けたのです。
結婚するつもりだった彼氏に「オレは料理ができる人がいい」とやんわりフラれ、悔しさから料理教室に通い詰めました。その後、新しい彼氏はできず、料理の腕だけがプロ並みに上がりました。数年後、SNSで何気なく投稿した手料理の写真がバズり、それがきっかけでレシピ本の出版や企業の案件が決まりました。元彼にフラれて始めた花嫁修業が、まさか自分の経済的自立を支えるビジネススキルになるとは、当時は想像できませんでした。


数年前、信頼していた友人に大金を貸してそのまま持ち逃げされました。当時は人間不信になり、悔しくて眠れない日々をすごしました。しかし、その経験から、たとえ親友であろうと「契約書のない金銭のやり取りは絶対にしない」「うまい話には裏がある」という防衛本能が骨の髄まで染み込みました。数年後、怪しい暗号資産の投資話が持ちかけられた際、周りの人間が次々と騙される中で、自分だけがその「違和感」に気づいて回避できました。若き日の苦い思いが、将来の致命傷を防ぐワクチンになったのです。
どうしても決めたかった店舗物件がありましたが、タッチの差で大手のチェーン店に奪われてしまいました。悔し紛れに、少し離れた路地裏の安い物件で妥協して開業しました。ところが1年後、メイン通りで大規模な道路工事が始まり、大手チェーン店は客足が激減して撤退。一方、路地裏の自分の店は工事の影響を受けず、人通りが急激に増加!そして「隠れ家」として多くの客が流れてきました。あのとき負けたおかげで、生き残ったのです。


営業の仕事で、競合他社に価格競争で負けて長年付き合ってきたお得意さんを奪われてしまいました。「利益なしでも取るべきだったか」と悩みましたが、結果的にそのお得意さんは過剰な要求を繰り返す「モンスター顧客」になったそうでした。奪った競合他社は、その対応に追われて疲弊し、主力の社員が次々と辞めていったそうです。貧乏くじを引かずに済んだのは、価格を下げなかった自分の判断のおかげでした。過去の自分に感謝です!
信頼していたビジネスパートナーと金銭感覚のズレで揉め、計画していた共同事業が白紙になりました。当時は「せっかくのチャンスを逃した」と後悔しましたが、その後、その元パートナーが別の人と組んで始めた事業は、杜撰(ずさん)な資金管理が原因で破綻し、多額の負債を抱えました。情に流されず、最初の「小さな違和感」で決裂しておいたおかげで、共倒れという最悪のシナリオを回避できました。「破談」は失敗ではなく、危機回避の成功になりました。

【人間関係】
敵と別れは、本物を残すための「フィルター」になるへの定期預金だった
仕事の進め方で真っ向から対立し、周囲が凍りつくほど激しい口論になった同僚がいました。それ以来、口もきかない関係になりましたが、数年後、大きなプロジェクトが発足した際、その口を聞かなかった同僚が「あの時の熱量で仕事ができるのは彼女しかいない」と、パートナーとして指名してきました。上辺だけの仲良しごっこではなく、本音でぶつかり合ったからこそ、相手の「仕事への本気度」を誰よりも深く理解し合える、最強の友になったのです。


担当していた太客を、後輩が強引な営業で横取りしました。売上を奪われた悔しさは相当なものでしたが、半年後、そのお客は無理な値引きや過剰なサービスを要求する「モンスター顧客」へと豹変しました。横取りした後輩は、連日の呼び出しとクレーム対応で精神を病み、退職に追い込まれました。目の前の売上競争に「負けた」おかげで、もっと大きな「キャリアの致命傷」を負わずに済んだのです。
職場の飲み会や休日ゴルフを「行きたくない」とやんわり断り続け、上司や同僚から「付き合いが悪い奴」「協調性がない奴」と陰口を叩かれました。しかし、そうして浮いた時間とお金を資格取得に全投資していました。数年後、業界全体が傾き、会社が早期退職を募った際、陰口を叩いていた人たちはしがみつくしかありませんでしたが、彼女だけは「待ってました」とばかりに割増退職金をもらって独立し、次のステージへ羽ばたきました。孤独は、沈む船からの脱出準備期間でした。


新人の頃、指導係の先輩があまりにも理不尽で厳しく、毎日のように反発していました。当時は「いつか見返してやる」という怒りだけが自分を支える原動力でした。しかし、自分が部下を持つ立場になった時、その先輩の厳しさが「後輩から舐められないための手法」だったことに気づきました。反発しながらも叩き込まれた仕事の基準値の高さが、今の自分を支えていると知った時、憎しみは感謝と尊敬に変わりました。嫌いな相手こそが、最高の師匠だったのです。
顧客から厳しいクレームを受け、担当を変えろと怒鳴られました。しかし、逃げずに誠心誠意対応し続け、最終的にはその顧客の要望を120%叶えました。心理学でいう「認知的不協和」が解消され、その顧客は「ここまでやってくれる人はいない」と、誰よりも自分を応援する最強のファンに変わりました。最大のアンチは、最大の信者になる可能性を秘めていることを知りました。


良かれと思って後輩にしたアドバイスが原因で、「パワハラだ」と反発され、距離を置かれてしまいました。しかし数年後、その後輩から「あの時は反発したけれど、現場に出て初めて先輩の言葉の意味がわかりました」と感謝の連絡が来ました。本質的なアドバイスほど、受け手が成長するまでは理解されず、時間差で感謝として返ってくるのだと気づきました。
お世話になっていたメンターのような上司が突然退職し、梯子(はしご)を外された気分になりました。しかし、頼れる人がいなくなったことで、自分で考え、自分で決断する力が強制的に身につきました。数年後、その上司と再会した時、自分が自立したビジネスパーソンとして対等に話ができるようになっていました。その瞬間、あの時感じた「置き去りにされた」という気持ちから解放された感覚を味わいました。あの経験は親離れのための荒療治でした。

【泥臭さと逆境】
理不尽な泥を飲んだ人間だけが掴める「果実」
新人の頃、上司から誰もやりたがらない「クレーム対応係」を押し付けられました。毎日ちくちく注意され続け、辞めたくて一人で泣いていましたが、結局逃げ場を見出せず3年の月日が経っていました。その後、独立して自分のお店を持った時、どんなトラブルが起きても全く動じないメンタルと、怒っている相手を一瞬で鎮める話術が身についていることに気づきました。周囲がパニックになる中で涼しい顔でいられるのは、あの「地獄の3年間」という予防接種を受けていたおかげだったことに気づいたのです!


あるプロジェクトで、取引先の都合による急なキャンセルが発生しました。明らかに相手の過失でしたが、上司は保身のために全ての責任を部下である女性に押し付け、減給処分にしました。彼女は言い訳をする機会も与えられず、結果その不当な処分を黙って受け入れ、文句一つ言わずに働き続けました。その姿勢を、親会社の役員の目に止まりました。「泥を被ってでも組織を守ろうとする姿勢こそ、上に立つ人間に必要だ」と評価され、理不尽な上司の役職を飛び越えて、異例のスピード出世を果たしました。忍耐は、最大の自己アピールだったわけです。
社内の有力なお局様に気に入られようと、自分が取った手柄をすべてそのお局様に譲りました。しかし、周囲からは「ごますり」と軽蔑され、肝心のお局様からは「もっと働け」とこき使われる始末。完全に裏目に出たと思われました。しかし、その「滅私奉公」ぶりを見ていた取引先の社長が、「あそこまで尽くせる人材はいない。うちに来ればその忠誠心に見合う金額、最低でも3倍の給料で迎えたい」と引き抜きのオファーを出しました。組織内での敗北が、より高いステージへの切符になりました。


入社したばかりの頃、教育係の先輩と馬が合わず、毎日のように反発して喧嘩していました。周囲からは「問題児」扱いされ、会社にいづらい雰囲気になりました。しかし数年後、会社が未曾有のクレーム処理に追われ、誰もが逃げ出した時、矢面に立って事態を収拾したのは、その喧嘩っ早い二人でした。平時には煙たがられた「気の強さ」と「喧嘩慣れ」したメンタルが、有事の際には最強の危機管理能力として会社を救い、二人は英雄になりました。
大事なイベントの当日、台風で電車が止まり、会場に行けなかった女性がいました。不可抗力でしたが、「プロなら前泊してでも来るべきだ」と厳しく責められ、重要なポジションを外されました。理不尽さに腐らずに、その後裏方の雑用を完璧にこなし続けたところ、その「理不尽に耐える胆力」を見込んで、さらに過酷な海外支社の立ち上げメンバーに選ばれました。そこで大成功を収め、帰国後には役員待遇で迎えられました。理不尽なペナルティは、メンタルの強度テストだったのです。


新入社員の頃、掃除やお茶出しばかりやらされ「こんな雑用をするために大学を出たわけじゃない」と腐っていました。しかし独立した今、細やかな気配りや環境整備がビジネスの基本であると痛感しています。当時の「理不尽な雑用」は、経営者としての足腰を鍛えるための基礎トレーニングだったことに気づきました

















































































































